僕たち夫婦の“今さら”すれ違い──変わりたいのに変われない現実

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「自分の時間が足りない」「私、何がしたいんだろう」──そんな言葉を朝の会話で聞いたとき、僕は少し驚き、そして心の奥に渦巻く感情を抑えられなかった。

共働きで忙しい日々の中、夫婦としての距離がますます開いていくことに、僕は静かに疲れていた。


この記事で分かること

朝の一言が教えてくれた“気持ちのズレ”

「24時間じゃ足りない」嫁の言葉に違和感

今朝、嫁の様子が少し沈んでいた。気になって声をかけると、「1日の時間が足りない」と言った。確かに忙しい日々だとは思うけど、僕にはどこか言い訳に聞こえてしまった。

「私、何がしたいんだろう」──夫婦関係の行き止まり?

ため息とともに「私、何がしたいんだろう」とつぶやいた嫁。その言葉の裏には、夫婦関係の空虚さが隠れているようだった。でも、その状況を作ったのは誰なのか──僕の胸には複雑な思いが渦巻いた。


僕が感じてきた積み重なる違和感

自分本位で始まった関係

付き合っていた頃から、嫁は常に自分本位だった。子どもを作るときも、僕の気持ちより自分の希望が優先された。僕はそのときからずっと「引っかかり」を抱えていた。

家族への配慮のなさ、表面だけの言葉

僕の実家での同居生活でも、嫁は周囲に気を遣わせ、家事も中途半端。良い顔をして家を出たが、実際には僕への配慮もなく、生活は嫁と子ども中心。


“やりたいこと”を優先する嫁、支えることに疲れた僕

僕のフォローは当たり前?

学校に行きたいと言う嫁を快諾し、僕は仕事をしながら家事もこなしてきた。邪魔扱いされながらも、なんとか家を回していた。

勉強・育児・仕事──嫁のペースだけが優先される現実

嫁が勉強や外出に集中する一方、僕には家事や育児のしわ寄せ。しかも、家に帰ればマイナスな話ばかり。どこかに楽しさや癒しがあれば良いのに、それすらない日々だった。


心が離れていく感覚

一緒に過ごしたいと思えない理由

そんな毎日の中で、どうやって「一緒に楽しく過ごしたい」なんて思えるのだろうか? 僕はもう、嫁に文句を言う気もない。ただ、子どものために母親として役割を果たしてくれればそれでいい。

今さら“思いやり”を求められても

思いやりはお互いに育てていくもの。でも、今さら求められても無理だ。僕の中では、もう「夫婦としての希望」はとうに終わっているのかもしれない。


おわりに

夫婦でいるということは、ただ一緒に暮らすことではない。「助け合い」や「理解し合う努力」があってこそ、絆は保たれる。けれど、それが片方だけの努力になったとき、関係は静かに壊れていく──今、僕たちはその崩壊の途中にいるのかもしれない。

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