「効率的に子どもを作れればいい」――その一言が僕の心を突き刺した日

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この記事で分かること

家の片づけ中、偶然見つけた一冊の本

先日、いつものように家の掃除をしていたとき、ふと本棚の隅に見慣れない本を見つけました。
表紙には「妊活」という文字。

思わず手に取り、めくりもせずに、そのまま嫁に尋ねました。

「これ、どうしたの?」

返ってきたのは、「この前、本屋に行ったときに買ったんだよ」という何でもない返事。
僕は特に驚きもせず、「そうか、子どもが欲しいなら、そういう本を買うのも当然だよな」と思いました。

でも、次の一言が、僕の心に深く刺さることになるとは――この時は思いもしませんでした。


「効率的に子どもを作れればいいな」――その言葉に僕は凍りついた

嫁はそのまま、何気ない口調でこう言ったのです。

「効率的に子どもを作れれば良いなぁ」

僕の中で何かがガタッと崩れました。
最も聞きたくなかった言葉。
思わず反射的に聞き返しました。

「効率的って……?」

すると、嫁は少し慌てた様子で「あっ、言葉が悪かったね」とフォローを入れてきました。
でも、もう遅かった。
僕の中に生まれた違和感は、音を立てて広がっていきました。


拒まれ続けた僕にとって「効率」は残酷すぎた

セックスレスの状態が続いている僕たち夫婦。
それでも仲が悪いわけではなく、日常はそこそこ穏やかで、表面的には普通の夫婦に見えるかもしれません。

だけど、「営み」という点においては、僕にとってはずっと重く、つらいテーマでした。
ずっと拒まれてきた側の僕にとって、それは「愛されていない」というメッセージのようにも感じていたからです。

そんな状態の中で、「効率的に子どもを作りたい」という言葉は、まるで機械的な“生産行為”のように聞こえたのです。

子どもが欲しいのは理解できる。
でも、そのプロセスの中にある“僕”は、ただの手段なのか?

そう思ったとき、僕の中の何かがガラガラと崩れました。


言葉の裏にあったのは、“分かってくれていない”という孤独感

もちろん、嫁に悪気があったわけではないと思います。
でも、だからこそ、余計に堪えました。

なぜこんな言葉を、よりにもよって僕の前で何の気遣いもなく言えるのか。
僕が何に傷ついてきたのかを、全く理解しようとしていないように感じてしまったのです。

言葉は時に、無意識に人を深く傷つけます。
特に、それが近しい関係であればあるほど。

その瞬間、「この人はやっぱり僕の気持ちを分かろうとしてくれないんだ」と感じてしまいました。


妊活以前に、大事にしたいことがある

僕だって、子どもがいらないと思っているわけではありません。
むしろ、子どもと過ごす日々は何よりも大切で、今いる娘にもたくさんの幸せをもらっています。

でも、子どもを作るということは、「家族を増やす」ということであり、それは“愛”の延長線上にあるべきだと思っています。

好きな人と、温かい関係の中で、自然と生まれてくるもの――そうであってほしいと願ってしまう。

そこに「効率」や「義務感」が入り込むと、それはもう“愛”ではなく、“作業”のように感じてしまうのです。

妊活に取り組む前に、まずは夫婦としての温度差を埋めていかないと、僕は心の底から“子どもを迎える準備”はできない。


僕は“器の小さい男”かもしれないけれど

この記事を読んで、「そんなことで傷つくなんて器が小さい」と思う人もいるかもしれません。
でも、これが今の僕の正直な気持ちです。

このブログは、僕自身の心の記録でもあります。
良い面だけじゃなく、弱さや未熟さもそのまま残しておきたいと思っています。

誰かに理解してもらいたいというより、自分の気持ちを置いておける場所として。
そして、同じように“夫婦関係に違和感を抱えている誰か”が、少しでも共感してくれたら、それだけで救われる気がします。


おわりに:子どもを迎える前に、心の準備を

夫婦で子どもを望むことは、とても自然で、尊いことです。
でも、その過程の中で、「どちらかが我慢を強いられる」「心が置いてけぼりになる」ような状態であってはいけないと思うのです。

妊活の前に大切なのは、“お互いの心がつながっていること”。

僕は、今もその「心の距離」を埋めたいと思っています。
だからこそ、無神経な一言に敏感になってしまうし、葛藤もある。

もし同じような経験をしている方がいたら、無理に笑わなくていい。
小さな違和感を、大切にしてほしい。

それが、夫婦として前に進むための、最初の一歩かもしれません。

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