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それは”叱り”?それとも”怒り”?

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今日、帰宅すると、嫁と娘が風呂に入っていた。
いつも通りの和やかな二人の雰囲気と思いきや、トイレに入りながら二人の話を聞いていると何か違和感を感じた。

嫁:「もう、良いよ。知らない。勝手にしたら?」

娘:「(泣きそうな声で)やーだー」

この問答が繰り返されている。

僕も一緒に風呂に入りながら、二人の話を聞いてみる


原因は、娘が嫁の言う事を聞かない事にあったらしい。

まあ、こんなのは良くある話し。

今日は幼稚園を休んで病院に行ったのだが、病院の売店で駄々をこねたり、
全部食べると約束して某ファーストフード店に行ったのだが、食べ残したり、
夕飯は娘の希望に合わせてめんどくさい料理を作ったのだが、娘は間食をしていたので、全部食べなかったり

と、嫁にとっては散々な一日だったようである。

風呂に入りながら嫁は娘に言い聞かせていたのだが、僕が気に食わないのはそこからだった。

俺と嫁で娘を叱っている図式を作ろうとしたのだった。

正直、僕は親が二人で叱るのは好きじゃないし、しちゃいけない事だと思っている。

本当にして欲しくない事は、フォローをしながら重ねて言う事もあるが、原則しちゃいけないことだと思っている

理由は、子供が強い孤独感を感じるからだ。僕は幼少期にその経験があり、今では反面教師としている。

風呂上がり、嫁は娘に説教をしていたのだが、その説教を傍から聞いていて呆れたものだった。

こういう事は年に何回かある為に、改善しない娘に嫁は腹を立てていたのだろう。

平気で「信じられない」とか「裏切った」という言葉を使うのであった。

しかも、一生懸命謝る娘に「謝るの意味って何?」と難しい質問を投げかける。

そんなこと、分かる訳ないだろう。

嫁は娘の「謝罪」が機嫌取りに思えて仕方ないのだろう。

その時は謝って、許してあげてもまた繰り返す。

そして、また謝る

娘が謝る気持ちを信じられないのだろう。

結局、傍から話を聞いていても、嫁が怒っているとしか、大人の僕にも理解できなかった。
理由は、「なぜしちゃいけないのか?」が明確でなく、時折、嫁が自分を主語にして話を進めるからだ。

子供って知らない事が多く、いろんな場面で辛い思いをしながらもそれを教訓に大きくなっていくものだと思う。
その辛い思いを教訓に変えてくれるのが親なんだと思う。

だから、自分の気に障るような事があっても、子供を叱る時は自分の感情をぶつけることなく、子供に教える立場で、子供の目線で言葉を選びながらも教えるように、説くようにしなければいけないと思う。

今日の嫁の説教は、娘の為にこの事例がどう悪くてこれからどうすればいいかを教えるための「叱り」

なのか、自分の湧いて出た感情を理解して欲しいだけの「怒り」なのか

僕には全く理解できません。

余談です

娘と片づけの事で口論になっている時に「ママだって片づけないくせに」と言われたそうです。

嫁は正直、食べっぱなし・脱ぎっぱなし・片づけが出来ていません。その都度片づける事ができません。

これは、話を盛っているのではなく、一般レベルで言っても出来てない方だと思います。

それを言われて、嫁は素直に「そうだね」とは言わなかったそうです。

それを言われて「でも、」と切り返した嫁の姿勢も、僕は違うと思います。

それに、それを聞いた僕が「それは違うだろう?」と言い返した時も、ただ腹が立ったと言うばかり。

片づけろと人に厳しく言う人がそれを出来ていないなんて、本末転倒。

呆れてモノも言えません。

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