「僕は家政夫じゃない──共働き夫婦、家事のバランスが崩れた日」

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共働きが当たり前になった今、「助け合い」は口だけじゃなく、行動で示すものだと思う。だけど、僕の家庭では、そのバランスがいつの間にか崩れていた。


この記事で分かること

僕が支えた最初の半年間

嫁の新しい仕事スタート

今年の4月、嫁が新たな職場で働き始めた。最初の半年間は、仕事に慣れるまで大変だろうと思い、家のことはできるだけ僕が引き受けようと決めた。

僕なりにやってきた“家族のサポート”

彼女と会う休みの日以外、洗濯・洗い物・ご飯作り・娘の世話など、家事全般を僕がこなした。彼女の負担を少しでも減らしたかった。

疲れてるだろうから…と我慢した日々

「大変だよな」と自分に言い聞かせて我慢してきたけれど、気づけば我慢ばかりになっていた。

夜勤が始まって変わっていったこと

生活リズムのズレと負担増

半年が過ぎ、嫁の勤務に夜勤が加わった。僕も夜勤の経験があるから、そのしんどさは理解している。

「やってもらって当然」になった嫁の態度

けれど、夜勤を理由に家のことを任せきりにする態度が増えていった。「やってくれるのが普通」みたいな空気が、僕にはとても重かった。

「ちょっと家事しただけ」でドヤ顔される虚しさ

洗い物を少し片づけただけで、「頑張ったでしょ?」と褒められたい素振り。正直、イラッとした。毎日やってるこっちのことは?


「家政夫かよ」と思った瞬間

片づいてない家、出される指示、そしてハグ要求

嫁の休みの日、僕が仕事から帰ると朝からの洗い物がシンクに山積み。部屋は物であふれかえり、しまいには「リモコン取って」「アレ持ってきて」――まるで家政夫扱いだ。

「助け合い」って言葉、どこ行った?

そんな状態で「ハグしよう」と言われても、気持ちなんて入らない。思いやりがない相手に、心を開くのは難しい。


心の距離を感じるようになって

物理的距離ではなく、気持ちのすれ違い

同じ家にいても、心の距離はどんどん開いていった。家事の分担や感謝の気持ちが見えないことが、僕の中の信頼を削っていく。

役割ではなく“思いやり”を持ちたかった

僕が欲しかったのは「ありがとう」の一言や、労いの気持ち。それがあれば、もっと頑張れたのに。


おわりに

夫婦の「分担」と「感謝」のバランスを見直したい

共働きだからこそ、役割に縛られず、支え合う気持ちが大切だと思う。疲れていても、たった一言の「ありがとう」で救われることがある。

共働きこそ、心の寄り添いが必要だと思う

家事はタスクじゃない。お互いが思いやりを持ち合える環境こそ、家庭に必要なんだと、今あらためて思う。

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この記事で分かること